ようこそ! 「謎の馬渡島」へ

転任の先生の見送り風景(郵正丸船内から撮影)
転任の先生の見送り風景(郵正丸船内から撮影)

 

 馬渡島は『歴史と野鳥の島』です。

  

 そして『謎の島』です.

 

   

 馬渡島に約20年間釣りでお世話になっていますが、その間に人口も約800人から500人程に減少していて、馬渡島をこよなく愛する者としては寂しい想いでいっぱいです。

 

 

 

佐賀県出身の作家北嶋磯舟さんは著書「謎の馬渡島」で

 

佐様なら、謎の島よ! 修道院よ!  

いつまでもいつまでも浮世の風にあてられず、神秘の幕につつまれて平和なれ!

 

といっています。

 

 このWebの管理者も北嶋磯舟さんとまったく同じ気持で馬渡島を見守ってきました。

 その一方で若い人たちが島から出て行ってしまって、人口がどんどん減少して島の活力が失われてしまうことに寂しさを感じていました。

 若い人たちが自分を育んでくれた海や山や歴史的遺産を守りながら生活していくことはできないものか。。。。若い人たちの島への定着を願う気持ちのほうがより強くなってきています。

 

 「謎の馬渡島」の素晴らしさを皆様に紹介したく、また 馬渡島にかつての賑わいが戻って来ることを願ってこのサイトをオープンしました。

 

 北嶋磯舟さんが馬渡島を訪ねてから80年余を経て、島の生活も変わってしまいましたが、古き善き『謎』はそのまま残されていると感じています。皆様も磯舟さんの「謎の馬渡島」の足跡を辿ってみてはどうでしょうか?

 

 イカと朝市で有名な「呼子」から定期船で約40分の所にありますので、日帰りで一度お立ち寄り下さい。

 

 きっといい思い出を持って帰ることができると思います。

 

 なお、このサイトは非商用・非公式のサイトで、個人的に馬渡島の活性化を応援するサイトです。

 情報は現地の調査と聞き取りに拠っていますが、個人的なサイトのため更新情報が遅れる場合があります。

 的確な更新に努めますが、交通情報宿泊情報等は直接当該機関で再確認されることをお薦めいたします。

 

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馬渡島の人口の移り変わり

年代  世帯数  人口
寛政元年 (1789年)   42   128
文政6年 (1823年)   33(本村20 新村13)   126
天保10年 (1839年)   32  
明治元年 (1868年)     267
大正3年 (1914年)    1,040
昭和24年   256  1,556

昭和27年

  265     1,603
昭和31年   265     1,760
昭和33年   273     1,720
昭和35年   247     1,563
昭和40年   225     1,279
昭和45年   201        967
昭和50年   201        930
昭和55年   200        749
昭和60年  182        747
平成元年  183        698

 

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◆ 馬渡小中学校の文化祭が開催されます。

平成30年10月20日(土)に恒例の文化祭が開催されます。 

今年のテーマは「Bloom ~1番の思い出」です。

 

みんなで応援しましょう。

 

◆ 離島留学生制度がスタート

平成29年度より、離島留学制度がスタートします。

 自然あふれる馬渡小中学校で学びませんか?

 少人数での丁寧な指導が本校の特徴です。

 皆さんの応募をお待ちしています。(馬渡小中学校のホームページより)

◆ 「キリシタン海の道紀行」をアップしました

◆ 馬渡島キリシタンの歩み を追加しました

◆謎の果物 ゲンコウ を追加しました

ゲンコウの自生種は馬渡島にしかない希少種の柑橘です

◆おたよ伝説と馬渡島  を追加しました。

離島活性化の成功事例として海士町モデルを追加しました

まだら夢工房で弁当を予約できます

フォトギャラリーに古い写真をアップしました

動画 馬渡島の女性釣り師達、

郵正丸から離れる馬渡島、

ある日の馬渡島の朝をアップしました

馬渡島のアーチスト達を追加しました

◆定期船 郵正丸の動画等を更新しました

◆JOCジュニアオリンピックカップ2014の佐賀県代表に馬渡島中の二人が選出されました二人